妻は高校英語教師。

高校英語教師として働く妻の日常を書きます。

高校英語教師という仕事

昔は学校の先生と言えば、「へぇすごいねぇ」とか、「頭いいんだねぇ」とか、「夏休みが長くていいねぇ(実際にはそんなことはない)」とか、「給料いいんでしょ?」とか言われたものだが、今や教師なんていう職業はブラックの代名詞のように扱われている。特に「英語教師」なんていうものに対する風当たりは特に強い。

 

なぜなら、「中学高校で6年間、大学まで入れると10年間も英語を勉強しているのにちっとも役に立たない」とか、「ちっとも英語が話せるようにならない」とか言われているからだ。頭を冷やして考えれば、日常生活において全く英語を必要としない日本で、英語が使えるようになんてなるわけがないことがわかるはずだが… 

とにかく、「学校での英語教育が悪い」と常に文句を言われてしまう。逆上がりができなくても、クロールで25M泳げなくても、誰も文句を言わないのに…  約分や通分ができなくても誰も文句を言わないのに… リコーダーがうまく吹けなくても、楽譜が読めなくても誰も文句を言わないのに… 英語になるとみんな熱くなる。10年も習ってなんで話せるようにならないだ、と。

もっと言えば、「学校の英語教員なんてまともに英語が話せないでしょ」、とちょっと海外留学して英語がちょっとできる会社員なんかに言われてしまう。「教師に英語力がない」と言われてしまう。

そんな人(英語がたいしてできない英語教員)も多少はいるかもしれませんが、自分の知っている英語教員は誰一人としてそんなことない。周りに中学、高校英語教員がたくさんいますけど…誰もそんな人はいない。みんなものすごく英語ができる。英語が話せるし、書けるし、聞けるし、読める。妻は英語に加えてスペイン語にも堪能だ。

ただ、一つ言わせてもらうと、英語に堪能であることと、英語をうまく教え、英語が使える生徒を育てることは、まったく別の能力だということ。オリンピックの金メダリストが優れた指導者になるかと言えばそうではないのと同じだ。

最近、日本の英語教育政策に対して、主に財界からの要望でテコ入れが進もうとしている。そのような記事を見るたびに妻はため息をつく…

 

英語教師という仕事はいつも批判の矢面に立たされてツラいのだ。明治時代からずーっとツラいのだ。