妻は高校英語教師。

高校英語教師として働く妻の日常を書きます。

定期考査前後の生活。

定期考査は大変だ。

 

定期考査の1週間前はだいたいの生徒はクラブ活動が禁止となる。放課後の学校はその期間だけ少し静かになるが、勉強に意欲的な生徒は教室に残り、先生に質問紙に行ったりする。

 

昨日、妻は少し早く帰宅し、すぐに試験問題の作成に取り掛かった。学校ではなかなか落ち着いてテスト問題の作成ができないらしい。 一つのテスト問題にだいたい3日~4日かけて作成するらしい。

 

自分の試験が終了したら急いで採点に移る。試験期間の最終日に自分の試験がスケジュールされていたら、最悪だ。翌日には採点して返却しないといけない。

 

今回はまさにそのようなスケジュールらしく、試験終了後は徹夜で採点しなければならない。「試験の返却は次の次の授業にします。」なんて言えないものなのだろうか?? 不思議だ。徹夜までして翌日に返却せねばならない理由が私にはわからない…

頼れるリーダーは偉大だ。

妻が転勤して1か月近く経つ。

 

勤務地が少し離れているため、出勤時間が早くなり、そして帰宅時間が遅くなった。朝7時過ぎに出ていき、いつも帰宅は7時30分を過ぎる。

我が家では夕食が20時15分過ぎからになった。

 

通勤で少し疲れている様子だが、前任校の時ほどストレスはないようだ。

一番の違いは自分の上司にあたる人物によるところが大きいようだ。

 

校長、教頭、学年主任、どうやら三者ともが頼れる存在らしい。

特に学年主任とは、実は妻とは同期でよく知る間柄。それでいてすごく頼りになるようだ。「あんなスーパーな教員は見たことがない。」と言う。

 

運動部の指導もできて、学年主任としての仕事もこなし、教科指導も素晴らしいらしい。また事務仕事もテキパキとこなし、家では一児の母。

 

とにかく部下としては安心して仕事ができるようだ。

 

5月に入り、疲労が見え隠れしているが、ストレスがないのはとにかくいいことだ。このまま時間が過ぎればいいな、と願うばかりだ。

教え子の悩み。

妻が昨年授業で担当していた生徒(担任クラスの子ではない)が、4月から大学に入り、壁にぶちあたった模様。そのことでどうしても相談したいと妻にメールをしてきた。

 

私が教師なら頼ってくれてうれしいが、いささか心配でもある。

 

指定校推薦で偏差値的にかなり高い私学の英文科に進学したその子は、大学に入学して周囲の英語力の高さに驚愕したようだ。帰国子女も多いらしく、英語の授業についていけない。ネイティブの教員が何を言っているかわからず、授業についていくこともできない、とのこと。英語力で圧倒されているため、友達を作ろうにも自分の英語力の無さで申し訳ない気持ちになり、自分から話しかけることもできないようだ。

これは何とかしてやらないと!ということで、妻は早速本人と約束し会って話を聞いてあげることにした。

 

ところが、先の妻の勤める学校でコロナ感染者が出たこともあり、会うことはやめ、電話で話をすることにしたようだ。

 

妻からのアドバイスはこうだ(あとから聞いた)。

「英語ができる=勉強ができるではない。英語ができてもやりたいことが見つからず、とりあえず英語ができるから英文科に入ったという人もいるはずだ。」

「あなたは英語が話せるようになる、聞けるようになる、そんな目的のために英文科を選んだわけではない。」

「英文学が好きで、それをしっかり勉強するために英文科に入ったのだ。」

「自分のやりたいこと、勉強したいこと、好きなことを貫きなさい。まわりに惑わされてはいけない。」

 

自分はこんなアドバイスできない、と思いながら聞いていた。

コロナ感染拡大が身近なところに。

妻の勤務する高校にコロナに感染した生徒が出たようだ。

インフルエンザのようにはどうやらいかないようで、休日なのに慌てて出勤していった。現在、保健所が濃厚接触者の特定をしているようだが、保健所になかなか電話がつながらず、ずーっと学校で待機しているらしい。

もし、クラスの子が濃厚接触者となれば、すぐに家に電話を入れ、対応しなければならない。

感染者の出たクラスは明日(日曜日だが・・)全員学校に集めてPCR検査を実施することになるかもしれない、とのこと。

 

なかなか徹底している(当たり前か...)。

 

大学ではそこまでしていないと思われる。

 

今週初めから新学期の授業がはじまり、妻はもうすでに自転車操業状態に陥っている。毎日2時~3時まで仕事をしているようだ(自分は寝ているのでわからない… ちゃんと朝早く起きて家族全員の朝食の準備してます笑)。 

 

あわただしい1年がまたはじまる。

#教師のバトン

妻は今朝もため息をつきながら(?)車で学校へ向かった。

 

4月1日から車通勤か電車通勤かで迷い、様々なパターンを試している。とにかく8時15分の職員朝礼に間に合えばよいのだ。

 

4月1日(木)、電車通勤を選択。7時15分に家を出る。7時20分の駅までのバスに乗る。駅でバスを降り、ホームまで足が攣りそうなほど猛ダッシュする(自宅最寄りのバス停から駅までバスで7分かかる)。7時28分の電車に、息があがったまま乗る。7時42分学校の最寄り駅に着く(まだ息はあがったまま)。徒歩で7時50分学校着(少し息は落ち着いたようだ)。

なお、これより1本早い電車、1本遅い電車だと、途中乗り換えがあり、7分~10分の時間ロスがあるようで、効率が悪いとのこと。

 

4月2日(金)、車通勤を選択。7時15分に家を出る。7時50分に到着した、とLINE。LINEメッセージから推測するに意外と早く着いてうれしそうな感じがした。

 

4月5日(月)、車通勤を選択。7時30分に家を出る。今のところ、何時に着いたのか連絡がない。遅刻したかもしれない笑

 

こんな感じで仕事以外にも色々と考えることがあるのだ。

 

ちなみに、文部科学省が何やら #教師のバトン とかいうキャンペーンをはっているようだが、相変わらず現場がわかってない人たちばかりで困ったものだ。

 

 

4月1日初出勤。

今日から新学期。公立学校の教員には転勤がつきもので、妻もこの4月1日から新たな学校に勤務することになった。

 

これまでより少し遠くなるので、今朝は7時15分に家を出ていった。

電車で行くか車で行くか散々迷った末、今日は電車、明日は車、で行くことにしたらしい。どちらがベストか考えるみたいだ。

 

これで4校目。

 

緊張する?って聞いたところ、「緊張する」、とのこと。「ワクワクする?」って聞いたところ、「ワクワクしない。」とのこと。理由は、「きっと(まわりの古参教員に)馬鹿にされるから」、ということだった。なんともネガティブな...

 

特に進学校では、教員がどの大学の出身であるか、で見られることが多いらしい。地元の国立大学を出ているとか、近隣の大都市の国立大学を出ているとか、教育大学を出ているとか... 旧帝大卒であるとか... 派閥のようなものはもう存在しないようだが…

 

ちなみに妻の出身大学名はここでは披露しないが、国内最高峰の国立大学出身だ。旧帝大の博士後期課程中退。出身大学で云々言いたくないが、馬鹿にされる、なんて言わずに胸張って行けばいい、と思った。

 

とにかく、笑顔で帰ってきてほしいと願うばかり也。

 

 

小学校の「英語」という科目。

2021年度が間もなく終わる。コロナに始まり、未だ収束の兆しが見えないまま、2021年度が終わる。

 

実はこの2021年度、英語教育に関わる人にとっては、非常に大きな年であった(はず)。なのに、世間ではあまり大きな話題とはならなかった。世間、世論、財界に押されて始まった小学校英語の教科化、なのに...

 

妻ともよく小学校英語教科化の話をする。小学校から高校、大学まで、英語教員の中には小学校英語教科化に反対の声も少なくない。むしろ反対派の方が多いのではないかと思う。妻もその一人だ。

 

なぜか。やってもあまり効果がないことがわかっているからである。ある研究では、小学校から英語を学んでも、中学から学び始めた子供に比べて偏差値で2上回る程度、という結果が報告されている。これを大きな差と呼ぶかどうか...

また、別の研究では、小学校3年生から英語を習い始めた児童・生徒と、中学から始めた生徒の英語力の経年変化を比較したところ、中学3年次には同等の英語力になる、という報告もある。つまり、早くはじめても、中学3年生になるころにはその「貯金」を使い果たす、ということだ。例えば、中学生や高校生に英語を教えていても、「この生徒は幼稚園から英会話を習っているから、、、」なんて思ったことがないのはそういうこと。早期にはじめた子たちが、中学や高校で飛びぬけて英語の成績がいいとは決して思わない。

 

これは、私の経験的にもそうだ。かつて中学の英語教師をしていた頃、中学1年生を教えた時、小さい頃から英会話を習っている子たちと、中学になってはじめて英語に触れた子たちとの間には、かなりの差があることが明確にわかる。ところが、中学3年生頃にもなると、「あれ?幼稚園から英語習ってたのではないの?」なんて思うことは日常的となり、どの子が早期英語教育経験者で、どの子が未経験者かわからなくなる。

 

小学校で英語をするよりも、他に大事にすべき教科がたくさんある、との考えが現場の教員の間では主流かもしれない。英語の授業が週に3回増えたら、何か別の教科・科目がトータルで週に3時間減っているのだ。しかも、小学校の先生は英語の専門家でもない。大学の教職の授業で英語教育について全く学んでいない人が大勢を占める。

 

ここから本題。そんな中始まった小学校英語教育。目を疑うような現状を目の当たりにすることになった。驚きというか、ショックだった。

 

それがこの写真。3学期のまとめのテストだったようだ。成績つけないといけないから、テストも作成するだろう。個人的にはこのプリントを作成した小学校の先生を責めることはできないと思っている。なぜなら、小学校の先生も被害者だから。

とにかく、一斉にはじまった小学校英語教育が、このような状況である、ということ。同じような類の誤り(過ち?)が、おそらく多くの小学校で起きていると考えていいと思われる。

専門的に英語教育を学んだ人を送り込む予算立てもせず、ネイティブ教員を常勤で配置する予算立てもせず、個々の小学校教員に相当な負担を背負わせて、かくして小学校英語教育は始まった。

誰がいったい得をするというのか。

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小学校5年生3学期の英語まとめのテスト