妻は高校英語教師。

高校英語教師として働く妻の日常を書きます。

尊敬される仕事。

「高校の教員なんて、世間からバカにされるばかりで、必要とされていない。」と妻は言う。だから、若い子が教師になりたがらない。そこに少子化も相まって教員採用試験の競争倍率は下がるばかりだ。3倍を切るとかなり危ない、と言われているが、実際に3倍を切っている自治体は少なくない。

 

昨夜、このような話を妻としていたのだが、そこでふと思った。

「世間はそもそも人のことを尊敬しているのか?」

 

各種メディアでは、人のあら探しばかりをしている。プライベートを踏みにじり、尊敬もなにもあったものではない。

 

どのような職業に就いていても、世間から尊敬などされる雰囲気がない世の中になってしまった。

 

コロナの中、懸命にウィルスとの最前線に立って、身を挺して医療に従事している医者や看護師も、時には心無い人から罵声を浴びせられながら仕事をしている。

 

教師もそう。我が子との時間を犠牲にして、他人の子のために精いっぱい尽くしている。少なくとも自分の知っている教師はみんなそうだ。

 

人は、自分以外の人、自分と関係のない人たちを蔑むことによって、はじめて自分自身を肯定することができる生き物なんだろうか。

 

考えると悲しくなってきた。

 

 

 

 

普通が一番。

この間、公立高校の入試があった。

 

私の住む所では、一般選抜試験と呼ばれている。それに先立って特色のある学科(機械科とか商業科とか、国際〇〇科といったもの)を持つ公立学校だけの入試、があった。今回の一般選抜試験では、特色選抜試験で定員割れのあった学科の再募集もあって、一緒に試験をしている。

 

新聞に志望者数と倍率が載っていたので、見てみるとこれがびっくり。専門的な学科はほとんど定員割れしてる!逆に、普通科の学校は特に進学校において人気が集中し、100名前後が不合格になるような感じであった。

 

高校に特色を持たせるとのことで、サイエンス〇〇〇科作ったり、国際〇〇科作ったり、地域創生を目玉にした学科を作ったり、魅力的な名前の学科(それもカタカナ横文字?)がずらりと揃っているが… 人気ないようだ。

 

妻は決まってこう言う。

 

「高校までは普通科が一番。きちっと基礎的な知識をあらゆる分野において持っておくことが必用。高校に特色なんていらない。専門的なこと、特色を持たせるのは大学から。」

 

その通りだと思う。

現に、世の中のニーズも普通科だと志望者数がそれを証明している。

 

 

 

卒業式後の日々。

卒業式が無事終わり、それ以降、ストレスから解放されたのか妻は心なしか明るくなったように思う。暗い性格ではないが、家では疲れ果てた姿ばかりを見てきたので、そう思うのだろう。

卒業式では、生徒たちからたくさんお手紙や花束やらをいただいたようで、それはそれは涙涙の卒業式だったようだ。3年間やってきたことが、生徒も教師もお互いに報われる瞬間だ。3年間は短いようで長い、そして長いようで短い。どっちなんだろうとふと思う。

 

さて、卒業式以降、妻の関心は私立大一般入試を控えている生徒たちのこと。それもほとんど合格を勝ち取ってきたようで、最近はどこに転勤になるのか、そればかりを気にしている。今妻が勤務している学校は、来年度いっぱいで閉校となる。同じ敷地に新たな高校が共存しているが、そこには絶対に行きたくない、と言う。ポリシーがあわない、らしい。それは大事。校長との面談ではっきりと転勤希望を出すと言ったようだ。

 

で、昨夜、内示があったらしい。転勤は確定。問題はどこへ転勤するか、だ。

結果、今よりは少し遠い、隣の市の進学校に行くことになった。甲子園にも出場するほどの学校だ。都道府県内のトップ3に入る学校だ。それはそれで大変なようだが… 妻はもっぱら朝早く起きることができるか、それだけ心配している。

 

4月から心機一転がんばってほしい。3月残りは年休をじゃんじゃん使うつもりのようだ。普段休めないのだから、ゆっくりと休んで鋭気を養ってほしい。

卒業アルバム。

3月1日は卒業式。妻は朝早くから袴の着付けで、家を出た。高校3年生の女性担任は卒業式で袴をはく率が結構高いらしい。

 

袴と言えば、女子大生の卒業式を思いだすが、最近は小学校の卒業式でも小6の卒業生の女子が着るらしい。

 

私が仕事から帰宅すると、妻はすでに帰宅済み。ダイニングテーブルの上に、たくさんの花束と、生徒からもらったらしい手紙などがたくさん置かれてあった。

 

その中の卒業アルバムに目がとまった。おもむろに開いてみてみる。校長の写真、教頭の写真、3年担任団の集合写真と続く。クラスの写真もあった。クラブの写真もあった。修学旅行の写真もあった。

 

他の人には失礼な話だが… 申し訳ないけど、妻が一番キレイだと思った。まさか自分がそんな風に思うとは... 自分でも信じられないが、確かにキレイだ。笑顔が美しいし、誰よりも若々しい。

いいものを見た気がする。もちろん妻には包み隠さず思ったことを伝えた。

 

明日は年次有給休暇をとったようだ。1年間の疲れをどっと溜め込んでいるので、明日は起こさないようにしよう。

卒業式前日。

明日は卒業式。明日で高校3年生の担任をしている妻にとっては一つの区切りとなる。この1週間は、授業もないのに夜中まで何やら仕事をしてた。聞けば、クラスの生徒一人一人に手紙を書いていたようだ。

元高校教師でもある私も高校3年生の担任を何度か経験したが、そのようなことはしたことがない…  (生徒に対して思い入れがないわけではない。実際、大切に育てた教え子が皆卒業し、大学で勉強する夢を叶えている姿を見て、あとを追うように自分も夢を叶えるため高校教員を辞めてしまうぐらいなのだから。)

手紙をもらった生徒はさぞ嬉しいことだろう。

 

一応全員分書き終わったようだが、まだ手紙を折って封筒にいれる作業が残っているらしい。今夜は一人一人に思いを馳せながら最後の仕事をするのであろう。

明日の晴れ舞台、粛々と式典が進むように願うばかりだ。コロナによる突然の休校、教え子の死、妻にとってはほんとに大変な一年だった。その分、クラスの子との絆も深いはず。いつの日にか、笑ってこの大変な一年を振り返ることができる日が来るのを願ってやまない。

PET検査。

妻は、6年前に乳がんと診断され、昨年節目となる術後5年を迎えた。念のためもうしばらく薬での治療を続けると言われ、落ち込んで帰ってきたのが1年前。

 

先日PET検査で全身の画像を撮った。その結果を今日、聞きにいった。

 

私は家で一人、帰りを待つ。

 

気が気でない。当事者である妻はもっと不安な気持ちであるに違いない。その気持ちは測り知れない。

 

待ちきれないので、LINEで検査結果どうだったか聞いた。「再発の所見なし」との返事。薬も飲まなくてよい、とのことだった。

 

ホッと胸をなでおろす。よかった。「これで薬から解放されるな。よかった。」と返事した。既読がつくが、返事がない。返事がないと、何かまずいことを書いてしまったのではないか?、と勘繰ってしまう。

 

またもや気が気でない状況である。どのように声をかければよいのか、私自身もこの6年間悩み続けた。どのように寄り添えばよいのか、どのような態度で接すればよいのか... 本人の気持ちを汲んで、あえて明るく振る舞ったり、いろいろしてみたが、正解はない。

 

家に帰ってきたときに、どのように接すればよいのか、正解のない答えを求めて私は悩み続ける。当事者のことを思えば大した悩みではないのだが…

 

 

魔法のことば「子供たちのために」。

妻は高校3年生の担任なので、一つ下の学年(高校2年生)の話だそうだ。

 

コロナ禍にあって、10月に予定されていた東京方面への修学旅行は延期となり、場所を変えて2月に信州へスキー修学旅行へと変更となったそうだ。そのための準備をこれまで着々と進めてきたという。

ところが、コロナは第3波となり、感染者は増すばかり。1月になって首都圏、関西の主要部では緊急事態宣言が発出された。

 

でも学校は普段とかわりなく日常がすすんでいる様子。私のような第三者からすると、さすがに2月のスキー修学旅行は再延期となるだろう、と思っていたが、その計画まで通常通り進んでいるようだ。これにはびっくりした。

 

妻によると、当該学年の学年主任をはじめ、一部の「熱い先生たち」が、「子供たちのために」を合言葉に、なんとかして修学旅行へ連れて行こうと画策しているらしい。反対派には物を言わせぬ雰囲気を作っているとのこと。

 

この「熱い先生たち」は実はかなりやっかいだ。クラブ活動を熱心にしている先生が多い。体育系であれ学芸系クラブであれ、教祖様のようにクラブ内では崇め奉られる。反論は一切許されない雰囲気を作り出す。またそんな先生たちは担任クラスでも自分の「城」を築き、生徒たちを「自分色」に染めていく。もちろんそんなことができるだけの力を兼ね備えた逸材だ。でも、一歩間違えるとこれは非常に危険なことで、従順な子供たちを味方につけると、自分の立場を勘違いしてしまうことが多々ある。人の上に立つのは気持ちのいいもんなのだ。時として行き過ぎた指導につながっていく。そこで暴走したときに誰かがどこかで止めてあげるブレーキ役が必要になるが、その時にはもう時すでに遅し、だ。

 

「子供たちのため」、「子供たちが望んいでるので」、こんなことばを巧みに使って、自分の世界を築く。

 

子供たちは、このコロナ禍にあって、本当にスキーに行きたいのだろうか。片道7時間、バスに揺られていきたいのだろうか。

 

「子供たちのために」なんとかして修学旅行を成功させよう、という気持ちはわからなくもないが、「熱い」だけでは教師はダメだと思う今日このごろである。