妻は高校英語教師。

高校英語教師として働く妻の日常を書きます。

カラーコピーは許可制??

今朝、妻の話を聞いて驚いた。

 

公立高校ではカラーコピーを1枚するだけでも、事務係長の許可が必要だそうだ。

白黒コピーよりも確かにコストはかかるが、生徒全員分をカラーコピーする事態などありえないのに(生徒への配布物は輪転機を使う)、教師として必要な資料をちょっとカラーコピーするだけでも許可がないとできないと言う...

 

一般企業でもそんなものなのでしょうか??

 

大学の入学前課題の意味がわからない…

指定校推薦で早々に大学合格を手に入れた高3生は、1月になって大学から入学前課題、とやらを受け取っているようだ。

 

指定校推薦で合格したら、実施11月~3月まで受験勉強をするわけでもないので、暇、と言えば暇。大学側としては、一般入試で入学してくる学生との学力差を少しでも小さくするため、指定校合格者には入学前課題をどっさりと用意しているらしい。

 

有名なのは、関西の一番規模の大きい私立大学。この入学前課題を大手予備校やら学習教材会社に外注して、パンフレットだのが送られてくる。お金のかかる場合もある。

 

妻の生徒のところにも別の私大の入学前課題が送られてきたようだ。「1月から3月末までの新聞記事で気になる記事をスクラップし、それぞれについてコメントを書くこと。」こんな内容だったらしい。

 

「先生、スクラップて何ですか?」

 

まずは、スクラップということばの意味をしらべるところから勉強がはじまる。これが春から大学生になる生徒の現実なんだろう...

転校した生徒の卒業式に参加?

昨年度、妻が担任していた生徒が諸事情で単位制・通信制の高校に転校したらしい。

その転校先の学校から、元担任である妻のもとへ、当該生徒が3月に卒業することが決まったので、3月のとある土曜日に行われる卒業式に参列してほしい旨の依頼が来たようだ。

 

様々な苦難を乗り越えて、高校課程を卒業することができたのは大変喜ばしいことで、妻も転校してよかった、と少し肩の荷がおりた感覚だったようだ。

 

しかしながら、卒業式に参列するかどうか、これは大変大事な問題だ。すでに他校の生徒となっているわけで、もはや関係のない一高校生、と割り切った考え方もできる。そのような生徒のために、土曜日の時間を割いて参列すべきだろうか。出張扱いとなるのだろうか、それともプライベート時間を割いて行くのだろうか。これは労働問題でもある。

 

熱心な先生ほど、そのような割り切った考え方をしない。私自身、これまでも何回もそのような熱心な先生を見てきた。よくあるのが、教え子の習い事の発表会といった類のものを観に行くことだ。そのようなものが好きで観に行くのはいいかもしれないが、私のように興味のない者が、「先生、今度近くでバレエの発表会があるのでぜひ観に来てください。」なんて言われるとほとほと困り果てる。「行けたら行くね。」と言って、チケットをもらいはすれど、貴重な休日というプライベートな時間を割いて観に行く熱心さは私にはなかった。が、そういうのを楽しんで観に行く先生も少なくない。

 

で、件の卒業式。先方の学校から依頼文書が正式に届いているので、参列するなら「仕事」として出張扱いとするのが筋であろう。この点において、先のバレエの発表会とは違う性質のものだ。ただ気になるのは、校長宛ではなく、教員個人に宛てて学校に文書が届いていることだ。なんともまぁ、先方は非常識な学校だとは思う。

 

話がズレた。とにかく、校務とプライベートの線引きがないに等しいのが教師という仕事の特徴で、家族としてはこれは何とかしてもらいたい。一個人の問題でもあるが、学校としても何とかしてもらいたいと思う今日この頃である。

生徒との電話。

先週末、家族で近くの百貨店へ買い物へ行った。その帰り、妻のもとにクラスの生徒からメールが届く。

 

「今から先生に電話してもいい?」

「どうしたの? 別にいいけど?」

 

すぐに電話がかかってきた。私は車の助手席で話す妻の様子を聞いていた。

 

内容はともかくとして、生徒の話を聞いている妻の様子をうかがっていると、それはまさに生徒の母親そのものである。それも小言を一切言わない、どっしりと構えた、それでいて子供のことを全て受け止める寛容な、理想の母そのものである。

 

電話の向こうの生徒の声は聞こえてこないが、妻に対して全幅の信頼を寄せているのがわかる。

 

この時、やはりこの人に教師をやめさせてはならない、と強く思った。こういう先生が日の目を見る学校、ひいては社会にしてかねばならない、と強く思った。

 

ちなみに、実の子供たちにはどうか、というと、一般的な母親なんだと思われる。その時の電話のような口調で話すことは一切ないし、子供たちに八つ当たりすることもしばしばである。人間とは不思議なものである。

 

サッカー日本代表戦か妻の愚痴を聞くか。

昨夜は、数か月?数年?に1回の夫婦喧嘩というやつがあった。第三者から見ればきっと自分が悪いのだろうけど、自分は悪いと実はあまり思っていない。きっと自分は厄介者なんだと思う。

 

昨夜は妻は同僚三人と食事に出かけた。車を置いていったので、お酒を飲んで帰ってくるのだろう。事前に23時からサッカー日本代表の試合がテレビ放映されるので、駅まで迎えには行けない、と伝えておいた。

 

と、ここでまず、第三者からすれば、サッカー日本代表の試合をテレビ観戦することがそんなに重要なのか、と疑問が出てくることだろう。なぜか自分はそれに固執してしまう。ヨーロッパで活躍している選手が観たいのだ。なぜそこまで固執するのかはわからない。とにかく年に数回しかないのできちんと観たいのだ。

 

で、23時過ぎに妻は帰宅した。私はコカ・コーラをお菓子を用意してテレビ前で観戦していた。程よくお酒も入っていたのだろう、妻はテレビ観戦している私に延々と仕事の愚痴を言い出した。「辞めたい」「しんどい」「学校に行きたくない」「転勤希望を出す」などなど...  まぁ、毎日同じことを聞いているので、適当に聞き流してはいたものの… サッカー観戦を楽しみにしていた私はついつい、キレてしまった。

 

「もうしんどいからやめてくれ」と。聞いているのも確かにしんどい。これまでもしんどかったが、こっちが一言「しんどい」と言ってしまうと、妻のストレスのはけ口がなくなってしまう。なので、うまく聞き流すべきところは聞き流して、自分のストレスはうまくコントロールしてきたつもりだったが、自分のしたいこと、楽しみにしていたことを長時間に渡って邪魔された挙句、ネガティブなことばかり言われると、さすがにこちらのストレスが爆発してしまった。

 

聞き役がキレたら終わり。わかってはいたけど、我慢の限界だった。キレてしまった自分が言うのもなんだけど、今でも話すタイミングだけもうちょっと考えてほしかったと思う。自分が楽しもうとしている時間じゃなくていいじゃないか。もっと別の時間でいいじゃないか、と今でも思っている。

 

愚痴は全部聞く。でも、自分のささやかな楽しみまでは奪わないでほしいと思った。サッカーテレビ観戦なんていうくだらんことかもしれんが。

出願あれこれ。

大学入試の出願は大変だ。大学によって出願方法が違うからだ。教員は全ての大学の出願方法を把握しているわけではなく、出願方法を誤った場合、その責任を教師になすりつけるのはどうかと思う。

 

妻曰く、大学によってはオンラインで出願を受け付けるところもあるらしい。でも受験料をオンライン出願したその日の内に支払わないといけない大学もあれば、そうでない大学もある。

 

受験生の顔写真もデジタルデータで送ることを義務付けている大学もあれば、昔ながらの紙媒体で貼り付けて写真の裏には名前を書いて提出する大学もある。

 

なんせ統一されてないので、受験生も受験する大学が多ければ多いほど大変らしい。

 

妻のもとには、受験料の支払い期限を過ぎてしまったとか、デジタルデータで顔写真を送らないといけないのに、スーパーの横にある写真の自販機(?)で撮ったら紙に印刷されて出てきてどうしていいかわからないとか、願書に記入漏れがあって大学から自宅に電話がかかってきたとか... 「どうしたらいいですか?」と毎日そのような相談が寄せられているようだ。

 

これは大変...   その前に、妻の話を聞いていると、今どきの高校生は自分で対処しようともせず、すぐに担任のもとにどうすればいいか聞きに来ているのではないかと思う。きっと日本の学校は過保護なんだろう。担任に聞きに来る前に自分で考えたという形跡が見られない。いや、考えているのだろうか??  妻の話ではそのような様子は一切見られないが…

 

極めつけは、担任にこうお願いしてくるらしい。「受験当日一緒にきてくれますか? 自分一人だと道に迷って大学までたどり着けない気がしますので」だって。

妻曰く、「そんなやつは受験する資格なし!」

 

まったくその通りだと思うが、「一緒に行ってあげたら?」と妻に言っておいた。

はじめての高3担任の涙。

妻が職場から帰ってきた。

 

隣の席にいるのは、今年で教員生活3年目ではじめて高校3年生を担任する若い女性教員らしい。その彼女が突然泣き出したというのだ。

 

聞けば、その先生のクラスで指定校推薦を受ける生徒の志望理由書、その先生は何度も添削し、最終的にOK出したのに、進路指導部長がNOといって何度もつき返すらしい。そのようなことが何度も続き、とうとうどうしていいかわからず、パニックになったということらしい。

 

会社でも企画書だの、始末書だの、起案文書だの書くこともあろうが、上司にNOと言われるのはしょっちゅうあることだ(と思う)。そうやって若者は成長していくものだ、と思わなくもない。

 

それとは少し違うのは、その先生の場合、生徒の手前、というものがある。生徒にはこれでいいよ、とOK出してしまったものだから、「こんなのでOK出してしまったのか」とあとから上司に怒鳴られてしまったら、面目丸つぶれになってしまう。板挟みというやつだ。これはツラい。

 

生徒の前では泣けない(自分は泣いたことがあるが…)のもツラいもんだ。

 

妻も、家での姿は一切学校では見せることができない、と言っている笑