妻は高校英語教師。

高校英語教師として働く妻の日常を書きます。

魔法のことば「子供たちのために」。

妻は高校3年生の担任なので、一つ下の学年(高校2年生)の話だそうだ。

 

コロナ禍にあって、10月に予定されていた東京方面への修学旅行は延期となり、場所を変えて2月に信州へスキー修学旅行へと変更となったそうだ。そのための準備をこれまで着々と進めてきたという。

ところが、コロナは第3波となり、感染者は増すばかり。1月になって首都圏、関西の主要部では緊急事態宣言が発出された。

 

でも学校は普段とかわりなく日常がすすんでいる様子。私のような第三者からすると、さすがに2月のスキー修学旅行は再延期となるだろう、と思っていたが、その計画まで通常通り進んでいるようだ。これにはびっくりした。

 

妻によると、当該学年の学年主任をはじめ、一部の「熱い先生たち」が、「子供たちのために」を合言葉に、なんとかして修学旅行へ連れて行こうと画策しているらしい。反対派には物を言わせぬ雰囲気を作っているとのこと。

 

この「熱い先生たち」は実はかなりやっかいだ。クラブ活動を熱心にしている先生が多い。体育系であれ学芸系クラブであれ、教祖様のようにクラブ内では崇め奉られる。反論は一切許されない雰囲気を作り出す。またそんな先生たちは担任クラスでも自分の「城」を築き、生徒たちを「自分色」に染めていく。もちろんそんなことができるだけの力を兼ね備えた逸材だ。でも、一歩間違えるとこれは非常に危険なことで、従順な子供たちを味方につけると、自分の立場を勘違いしてしまうことが多々ある。人の上に立つのは気持ちのいいもんなのだ。時として行き過ぎた指導につながっていく。そこで暴走したときに誰かがどこかで止めてあげるブレーキ役が必要になるが、その時にはもう時すでに遅し、だ。

 

「子供たちのため」、「子供たちが望んいでるので」、こんなことばを巧みに使って、自分の世界を築く。

 

子供たちは、このコロナ禍にあって、本当にスキーに行きたいのだろうか。片道7時間、バスに揺られていきたいのだろうか。

 

「子供たちのために」なんとかして修学旅行を成功させよう、という気持ちはわからなくもないが、「熱い」だけでは教師はダメだと思う今日このごろである。