妻は高校英語教師。

高校英語教師として働く妻の日常を書きます。

調査書。

学校では、生徒一人一人の学習の記録、学校生活の記録のようなものが公文書として存在し、教員は各年度の分を記録しておかねばならない。この公文書は「指導要録」と呼ばれる。この指導要録、いつ使うのかというと、年度が終わって、次の年度の担任の先生に渡す引継ぎ資料のような使われ方をすることもあれば、転校していく生徒の分を転校先の学校に送り、この時もまた引継ぎ資料のような形で使われる。(それ以外の使われ方を私は知らない…)

 

これは卒業後、学校に対して開示請求すれば、閲覧することができる。自分の指導記録として、何が書かれてあるのか、みんな気になるところだろうが、実はたいしたことが書かれていない。基本的に悪いことは書かない。いいことしか書かない。開示請求に耐えうるあたりさわりのないことしか書かない。項目としては、学業成績(5段階とか10段階とか)、取得単位数(高校の場合)、出欠の記録(遅刻や早退の欄は普通はない…)、学校生活所見欄(委員会とかクラブ活動とかを書く)、学業面での所見欄(授業に対する態度とか書く)、進路希望を書く欄、備考欄(資格取得した場合などここに書く)、といった具合だ。

この指導要録、普通は年度末の最後の成績が出てから作成する。3月いっぱいまでの春休みは教員はこの指導要録の作成に大忙しになる。

 

高校3年生の担任となると、この作業を一足早く、夏休み中にしなければならない。妻はまさにその作業の真っ最中だ。指導要録とよく似た「調査書」なるものを作成しなければならないからだ。指導要録と中身は非常によく似ているが、使われ方が違う。この調査書というやつは、大学受験や就職試験の際に、受験先に願書と一緒に提出が義務付けられているものだ。なので、少しでも生徒が有利となるように、嘘は書けないが精いっぱいの誉め言葉を書いていくのだ。どんなに些細な資格でも、書いてあげる。で、この調査書は厳封の上、願書と共に受験先に送られるので、生徒が目にすることはない。もし、見たければ、卒業後に指導要録の開示請求ができるので、指導要録を見ればだいたい何が書かれてあるかわかる。夏に調査書を作成したならば、年度末に指導要録に所見欄などはコピペすることが多いからだ。

さて、この調査書、大学の一般入試受験の際には必要なし、としてほしいと個人的に思う。大学によっては数万人が受験する。いちいち一人一人の調査書を大学側が見ることは(おそらく)ない。届いたらいったんそのまま封を切らずに保存しておいて、そのうちシュレッダー行となるのではなかろうかと思う。高校の卒業(見込み)証明書だけで十分だ。推薦入試やAO入試の場合は必要(成績を証明するものがあればそれでもよい)かもしれないが、公募制推薦入試であれば怪しい。見てないかもしれない。

妻は、「ひょっとしたら見られるかもしれない」、いや、「十中八九見られることはないだろう」というこの調査書を、丁寧に、ミスがないように、必死になって、神経をとがらせて、夏休み返上で、書いているのだ。

教員の働き方改革、と世間は言う。これは無駄な作業なのか、それとも絶対に必要な作業なのか。私からすればこんなもの無くしてしまってもどうってことないように思う。機械的に出てくる成績証明書だけでよいのでは?と思う。